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映画「クライマー パタゴニアの彼方へ」を観てきました!

(写真は映画公式パンフレット表紙)

ども!
自分、先日からこういう新連載を始めたこともあり(隠れてないステマ〜♪)、かつてなくクライミング熱が高まってるので。
ちょうどトレーラーを見て気になってたこの映画を観てきました!
(というかこのエントリ、どこに置こうか迷って結局ここしか…汗)


「クライマー パタゴニアの彼方へ」
Youtube公式トレーラー



ものすごく内容が濃くて、面白かったです!
登攀シーンの、突風吹き荒ぶ極地の臨場感とか、空撮とヘッドカメラでの圧倒的な高度感とか、あんまり期待せずに行った身としては、おつりが来て余りある満足度でした!!(奮)

気になるけどまだ観てないと言う人は絶対、上映期間終了する前に映画館へGO!☆


…ただ、万人にお薦め出来る映画か?といわれると正直、うーん。。てなりますよね…(考)
登山の歴史とか、実際にやっててクライミングに興味がある人とかは別として、一般のお客さんは
全く想定してないんだろうなぁ〜コレ…という作りになってまして。(勿論知ってるよね?という)

「コンプレッサールート」とか言われて、あぁアレ!と分かる一般人は日本にまずいねぇよ(困)
(そもそも一般人には「ルート」の概念が無いんじゃないか?という疑惑も。。汗)

まず、日本だとクライミングの基礎知識として
・フリークライミング=(シューズと安全確保のロープ以外の)道具を使わずに手足だけで「壁」を登る
・エイドクライミング(人工登攀)=アックス・ボルト・ハーケン・アブミ等のギアを駆使して「山」を登る
というあたりから説明を始める必要があり…。(アルパインの説明とかぶる気もしますが)

上記二つは、クライミング思想・理念の段階から全く別のものと理解され、区別されてます。
というのも行き過ぎた人工登攀への批判から「フリー」(道具から”自由”な)が起こってきた感もあって。(その運動の「聖地」と言われるのが、北米のヨセミテ国立公園なんですな)

そういう歴史的なセンシティブな問題を最も象徴的に物語るのが、この「セロ・トーレのボルトルート」の逸話でした。

ボルトというのは「何をどうしたってここは物理的に登れん」という箇所に、人工的に打ち込む釘みたいな物体で。それを支点にして、登ってる最中の安全を確保したり、もっと直接的には、ハシゴを掛けて難所を越えたり。
だから、原理的には、壁にボルトをべた〜っと打ちまくれば、登れない所は無い、ということになるわけですね。
(現実には運搬する重量とかの問題もあり、なかなかそうもいかないんですが)

でも、それ「本当に『人間の力で登った』って言えるの?」という疑問が当然沸いて来るのでしょう。
登ることに真摯なクライマーであればあるほど。

山と、自分しかない世界の中で、「ピュア(純粋)でありたい」「フェア(公平)でありたい」。

それがアルピニズムの本質だから、と映画のカタログにも書かれてましたが。だからセロ・トーレの壁にコンプレッサーを持ちこんでボルト打ちまくった人は、後で「壁への冒涜」として凄い批判されました。


そういう歴史的な経緯を知らずにか、或いは知ってて敢えて無視して見せるパフォーマンスかも?ですが。結果的に同じ過ちを主人公らの撮影チームが犯してしまうところから、今回のドキュメントの本編が始まります。
(このへんのネットで叩かれて大炎上してる映像演出とかアートっぽくて面白かったです)

クライミング界の寵児から、堕ちたヒーローになってしまった若者が、一人のアルピニストとして成長する。
クライマーとしての技量はもちろんそうですが、何より、一個の人間としての成長の物語なんですね。

最初、若さと才気溢れる生意気そうな若造だった彼のルックスが。
何度かの失敗や敗退に打ちひしがれ、それでも諦めずに戻って来て、遠くの頂きを何カ月も見続けて。そうするうちに、演出の意図だと思うんですが、だんだんと「彼」一人の存在が不思議と後退するんですよね。

寡黙だけど一緒にずっと付き合ってくれる、信頼できるパートナーの存在感とか。(難所を登ってる時、何度も「落ちてもオレがいるから大丈夫だ」とか声掛けてくれるのマジ癒された…)
パタゴニアとセロ・トーレを知りつくした超ベテランクライマーの濃ゆすぎる個性とか。
カメラクルーのそれぞれにも、人に歴史があり、高い能力と己の仕事に対する自負がある。

そういうものの中で、モザイク画のひとつの模様みたいに、主人公の存在がパチッとはまった時に、ようやく初めて、本当にセロ・トーレという山が懐を開いてくれたような、奇跡のような好天を得られて。
三年掛かってそこへ辿りついて、やっと「フリーの天才」が自分のクライミングをさせてもらえた。逆説的なようだけど、そうなれるには「アルピニストとしての成長」が必要だったんですね。

ああ、爽快感ってこういうことか!と思いましたね。これは羨ましい境地だわ!と。
そして同時に、これは確かに邦題通り「クライマー」達の物語なんだな、とも。


ところで何度か出て来ている「アルピニスト」とか「アルパイン」という用語。
これは文字通り、「アルプス(の山々)を登る人」「アルプス(の岩壁)を登るスタイル」という意味です。つまり、ヨーロッパで生まれた近代登山を、もともとは指す言葉なんですね。

その一方で、主人公のデビッド・ラマという青年は、母親がオーストリア人、父親がヒマラヤのシェルパ族出身。…そういう少年が、ヨーロッパアルプスの麓オーストリアという土地で、一体どういう風に育ってきたのかな…と。
彼のネイティブっぽいドイツ語を聞きながら、そんなことをふと思う訳ですよ。
(パンフの中でも少しだけ平山ユージさんがそこらへんの(人種的?)部分に触れてましたけど)

若かった主人公が、殊更に「崇高なアルピニズムの理念」とかを軽視するような態度を取ってた背景、なんてのがあったりするのか或いは無いのか…本人にしかわかりませんけどね、そのへんは。
(でも、彼が日本人の平山氏をリスペクトしてたのって、アジア系の外見を持ってることと無関係ではないような?)

われわれ日本人は、割とこの問題に関してはフラットな態度を取れる幸運なポジションにいるのですが。
そうではない世界も「外」にはやっぱりあるのだということも、一面の現実として知っておいてもいいかもしれません。


人は弱いし、迷うし、何度でも繰り返し同じ道を間違える。
脆くて、愚かな、哀しい生き物だ。

だからこそ、世俗の醜いものや卑小さを超越した高みに燦然と聳える純白の頂きに、人は憧れ続けるのかも知れない。

どこまでも純粋に「高み」を目指し続けるクライマーは、「美しい」生き様を求めている人間の一つの姿なのだと。
そんなことさえも、ラスト近くで登っている主人公のぽつんと小さな映像から、思ったりする訳ですよ。

だから、私はクライマーという人々が好きなんですかね?
(※ネタバレ避けますが、映画本編の最後で超ド級の(愛すべき)バカやってるのも含めて。。苦笑)







…とまあ、そんなこんなありつつ。

こちら先日始まりました当方のクライミング漫画「オーバーハング!」新連載も、どうぞよろしくお願い致します!!
(コメントとか☆も頂けると、励みになると同時に連載が延命出来るかもですので何卒。。伏)

 
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